ホテル風早

亭主日記
Diary

日田が日田であるために

2015年08月11日

亭主日記

大学の先輩ご夫妻が、先日同窓のOB仲間と飛騨高山へ旅行。時間調整がうまく行かず、高山陣屋へ到着したのが、閉館5分前の午後4時55分。すでに閉まりかけた門の前で、「日田から来たのに残念だな~」との独り言に、「日田の方ですか~?」と扉の向こうから応答あり。「日田の方でしたら、どうぞお入りください。」と、門が再び全開され、その後1時間、数名の学芸員から懇切丁寧に案内され、一行みな感激したと亭主に連絡。全国から集まったKOの同窓生も「日田ってすごい町なんだね~」と感心しきりで、鼻高々だったらしい(笑)。

未来永劫、日田が日田であるために必要な施設が、「日田陣屋」の復元であることは、衆目の一致するところ。江戸時代、10万石以上を差配する幕府直轄地の天領だったからこそ、掛屋等の金融資本が集積し、資本があるからこそ学問が勃興し、広瀬淡窓という稀有な学者が生まれ、その学の気風の残滓はいまだ日田に受け継がれ、現在も各界に人物を輩出中。今年、咸宜園・豆田町等が日本遺産に指定された原点も、江戸時代に天領だった所以なり。

幸い日田陣屋の平面図が残っていることから、今は民地になっている地所を買取り調査すれば、礎石等の痕跡を発見出来る確立高し。高山陣屋が保存指定を受け、20億円の費用をかけ本格的な復活工事に着手したのは平成8年。高山に出来て日田が出来ぬ理由はなし。数代にわたる市長が本気になり、年月をかければきっと復元できる「天領・日田陣屋」。日田が進撃するためのアイデンティは、未来永劫そこんところにあり。